自己紹介

自分の写真
静岡市, 静岡県, Japan
おはぎを作ってみんなを笑顔に。 趣味の和菓子作りが高じて、「おはぎの山さん」という二つ名を頂くほどに。 人におはぎを配っていたら、何の因果か2018年1月に、ネパールへ行っておはぎを作る「おはぎdeネパール」を敢行。 その後、日本へまっすぐ帰らず、タイを起点として東南アジアを2週間かけて一周する、初バックパッカーの旅を経験する。 介護関係の仕事をしているが、将来はパソコン一台持って、世界を旅する目標を持つ。 妻と、小中高の子供三人。 いずれ、寒がりの妻とは暖かい南国で暮らしたい。 現在、おはぎをツールとした交流会、おはぎ教室などを不定期開催。

2018年2月27日火曜日

「パパ落ちた」からの旅の始まり

2017年11月17日


大変ショッキングな写真ですね。
ぐったりして、今にも死にそうです。

ええ、本来なら、死にそうなのかもしれません。
あの世への旅立ちの間際かもしれません。

でも、これ、超ハイテンションです。
めっちゃウキウキしています。



ちょっと話を巻き戻すと


勤務している職場で、日々ストレスをため込み、マックス状態だったこの日。
いつもと違うことをして、何とか気分を変えようとしたのです。


子供達には「これが終わったらご飯にするからね」と言って、
我が家の自慢の吹き抜けを、透明パネルで塞ぐ作業をしていました。

場所は、床から3メートルの高さ。
いつも梁で平均台ごっこをするので、高いところの作業はお手の物です。


冬は、冷えるのです。
暖かい空気が、すべて吹き抜けていってしまうのです。
それを、パネルでふさぐことで、暖かい空気を閉じ込めるのです。


何となく、その作業が楽しかったのかもしれません。
いい気分転換になったのでしょう。


そして



落ちる時は、本当にスローに周りが見えます。
スローというより、コマ送りです。


床にたたきつけられました。

左半身を下にして、左手は腰と床の間に挟まれた状態で。

足を踏み外して落ちたのです。


驚くというか、なんというか、うちは木の床でよかったなと思いました。
また、何も物がなくてよかったとも。

頭を打っていない。
右手は動く。
左手は痛いが、ぽっきり折れてる感じはしない。

子供たちも、音に驚いて
「パパどうした!?」
「大丈夫!?」
と駆けつけてくれました。

こんな時、まずどうするか。

まず、麻痺側の対応と同じで、
健側(この時は右側)を下にします。
右腕は動くので、右腕でずって、体を引きずる感じです。



「えーと、とりあえず大丈夫だから、ごはん先に食べといて」

そうです。
まずはご飯です。

作業の後にすぐご飯の用意をするつもりだったので、まずはそこからです。


自分は、身動きとれぬまま。

「悟空とかルフィとかすごいよね。岩にたたきつけられても動くもんね。
とても真似できないよ」

そんなこと言いながら、何とか右腕を使ってずりっ、ずりっと動きます。
左腕を少しずつ動かしてみます。

痛いけど動くし、指も動く。
残念だけど、折れてないね。

頭も打たなかったし、本当に良かった。


新聞を広げ、救急対応してくれる病院を探してみました。
見つけられなくて、スマホを使ってみました。


自分で車で行こうと思ったのですが、痛くて体が動きません。

痛すぎて笑えるし、なんだかテンション上がってる。

多分、脳内エンドルフィンがバンバン出てる。

そんなこんなしているうちに、奥さんが帰ってきました。




以下、妻のFBより


帰宅したら子供たちがご飯を食べながら「パパ落ちた」と。

どゆこと?

冬仕様のため梁に透明板を渡していたら支え板を踏み抜いてしまったらしい。

高さ3メートルからの落下。
意識ははっきりしているが、左側全てを打ち付けたらしく
夜間救急に連れて行こうにも動けないと言う。

そして「救急車呼んで」

仕事柄意識喪失などの場面によくあうのでこんな喋れて救急車呼ぶの?!と思ったけど、血色も悪いので仕方なく救急車を呼ぶ。

駆けつけた救急隊の方が「変わってる家ですね」とびっくりしてました。

運ばれている間も、痛い痛いの合間にちょこちょこ
「寒くなったから搬送の方が多いですか?」とか
「息子が職場体験でお世話になりました」とか、
「消防士さんみたいのに憧れて家に登り棒つけたんですよ」とか喋る。

おい!!
もう黙れ!

意識がはっきりしているのは良かったけど、こんなに赤面する同乗は初めてだよ!!』




妻は、グループホームに勤務する、ケアマネージャ兼介護職員。

お年寄りの救急搬送に付き合うことも多いので、安心して付き添いをお願いできました。



日赤に搬送され、なんだかんだ診断を受けて、入院かと思いきや


「はい、帰っていいですよ」


なんとーーーーーーーー!?!?!?!


めっちゃ体痛いんですけど。
動くと痛いんですけど。


ずっと横になっていたのですが、
「はい、体起こしてみて」
「はい、足を下ろしてみて」
「はい、立ってみて」
と、先生の言葉に従って、ようやっと立ってみて

「じゃ、また週明けに受診してくださいね」

おっとお。

痛くて痛くて全然歩けません。

見かねた看護師さんが、車いすを持ってきてくれた。

妻が車いすを押してくれる。

介護して、介護されるってこんな感じか。

支払いを終え、タクシーへ。

左半身が超絶痛いので、左麻痺の場合の移乗はどうだったかなと考えながらタクシーに乗車。

こんなにリアルに、半身麻痺の人の気持ちがわかるなんて。
介護福祉士も、ケアマネージャーの資格も取って、研修も受けてきたけど

やはり、その身に起きてみないとわからないことばかりだ。

そんなことを考えつつ、自宅へ。


子供たちは、いたって普通でしたし、

僕が搬送されてから帰ってきた長女に至っては、
「あー、帰ってきたんだ」
と、そんな感じ。


帰ってからは覚えてないけど、
ご飯を食べたのかな
寝たのかな


でも、確実に言えることが一つ。

この日から、旅は始まっていた。

この日を境に、僕は、僕の旅は、信じられない方向に進もうとしていた。


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結局どんな旅をしてきたのか!?
実はアメブロにまとまっています。
うちの素敵な奥様が、僕のFBを追いかけて記録したブログ

「静岡からバックパッカー
おはぎの山さん放浪記」

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2018年2月26日月曜日

「パパ落ちた」

2017年11月17日(金)多分、曇り後、骨折

その日の僕は、天気以上にどんより曇っていた。
嫌で嫌で仕方なかった。

世の中にはいろいろな嫌なこともあるし、苦労もある。
自分の苦労なんて、本当に苦労している人から見たらたいしたことではない。

そんな風にも思ってみるのだが。

いかんせん、日々の仕事が、職場の女性たちが
女性職員から受けるプレッシャーが、言葉の一つ一つが、
早口で、甲高い声でまくしたてる無駄な言葉たちが

もう、限界だった。

特別養護老人ホームで、介護職員をしている。
デイサービスでの介護経験はあるが、小さな規模の会社での経験は、
地元に愛され20数年、ベテラン揃いの法人の中では、
役に立たないに等しかった。
足を引っ張っていた。

ように思う。

仕事については、皆、とても丁寧に教えてくれる。
感謝しなくてはいけない。

ただ、何度やっても頭に入ってこない。
そもそも、頭に入れようとしていない。
何度かやれば覚えるだろう、と考えているところもあるのだが、
よくよく自分を顧みれば、頭に全く入ってこないのだ。
情報が、指導が、経験が身につかない。

振り返ると、一瞬で忘れてしまうことがあるが、
話を聞いていても、その場で忘れていってしまう。
メモも取らないのだが、もとより、

メモを取っても忘れてしまうのだ。
メモを取って安心するし、
メモは汚い字なので読む気も起きず、

メモは、書いてポケットにしまったら読み返さないし、
メモは、書いたことすら忘れてしまう。

書いたってしょうがないのだ。
どうせ見ないのだから。

体で覚えるしかないのだが、それでだって、自分のやり方優先。
結局、何度聞いても同じ間違いを繰り返す。

「教えてあげるから」と指導を受けても
「お前はだめなやつなんだ」
「だらか教えてやるんだ」
と、言われている気がして、指導を受ける時間は苦痛でしかなかった。

その日は立て続いた。

午前中、
ただでさえ口やかましい女性職員が、ひたすら厳しく延々と説教をしてきたのだ。
利用者のトイレ介助をしているすぐそこで、もうやめてくれと言っているのに
ひたすら同じことを、甲高い声で、早口で
「あなたのためだから」とか言って。

午後、
利用者に内出血を発見した。
自分がやったわけではない。
ただ、見つけた本人がヒヤリハットを書かなくてはいけない。
この、やっていないのに書かなくてはいけないのが、
結局は他人の目から見たら「お前がやったんだろう」とみられてしまう。
そう思う。

特に、失敗が多い自分は、何かにつけ目をつけられてしまう。

しかし、見つけた事実を報告しないのもやはりできない。
後から、ほかの人がその事実を見つけた時に、「なぜ見つけられなかった」と
問い詰められたらと思うと、正直に言ったほうがいいのではと思う。

素直に報告した。
自分はやっていませんと。
気づいたら内出血がありました、と。

その看護師は、あからさまに疑っていた。
「まだ新しい内出血だよね」
「移乗は誰がやったの」
「心当たりない?」
「これは今後そうならないようにするためだから、どういう状況でこうなったか考えてみて」

なんだろう、結局ひたすら責められている。

実際は、もっともっといろいろ言われて、早口でまくしたてられていた。

先の女性職員も、この看護師も

とにかく自分が一番で、指導する立場にあって、
高圧的で、自分勝手で、人に厳しい。

僕は、彼女たちの早口でまくしたてる言葉を耳にしながら
「早く終われ、早く終われ」
「わかった、わかったから」
「嫌だ、嫌だ、もう嫌だ」
「やめたい、やめたい」
「一回言えばわかるから」「何度も言わないで」「お願い」
そう思っていた。

午前の部に関しては、あまりにもまくしたてて言ってくるので
「わかりましたから、お願いですからもうやめてください」
と懇願した。

本当にいっぱいいっぱいだったのだ。

今に始まったことではない。
この会社に入ってから2年半。
ずっとそうなのだ。

辛くて辛くて、
仕事帰りは毎日神社でお詣りをして
なんとか救いを求めていた。

仕事に来たら、昼ご飯を楽しみに働き、
昼ごはんが終わったら、定時で帰れることを楽しみに働き、
定時になれば、少しは残業になればと思いながら、
全く残業がつかないことを無念に思い

収入が増えないが、増やすすべがない。
家に帰れば「稼げ」と言われる。
ただ、疲れて寝てしまう。

ああだこうだ言われても、なんだかどうしようもないのだ。
この日々は。

働きたくない。
年を取りたくない。
ボケたくない。

お金や、仕事や、いろいろな事に縛られる人生は嫌だ。

とにかく、辛い思いをしながら、その日はようやくうちに帰った。

このまま、嫌な気持ちをお土産に持って帰っていはいけないと、
帰ってからいつもと違うことをしてみた。

そしたら、引き寄せられたのだ。

引力に。

3メートルの高さから落下し、

左半身をしたたかに打ち付けたのだ。

子供たちは、仕事から帰ってきた妻にこう言ったのだ。

「パパ落ちた」と。

続く。


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2018年2月25日日曜日

「おはぎdeネパール」のはじまりはじまり

2018年1月23日(火)晴れ

天気もよく、動くと心地よく体が暖まる。
ここまでの道のりは荒れていて、急斜面も多く、
砂埃が高く舞っていた。

訪問した小学校では、先生や子供たちに歓迎されて
初めての体験にワクワクして、
お互い初めて会う人たちばかりでドキドキして

それでも、
まずはどこでおはぎを作れるのか、
そればかりを気にしていたように思う。

案内された場所は、校門から
校庭(といっても、中庭程度の広さ)をまっすぐ突き抜け、正面にある教室。

そこに炊飯器を持ち込み、作業してもいいのだと説明を受ける。
早速水を所望すると、バケツでミネラルウォーターを汲んできてくれた。

用意していた米を炊飯器に入れ、水を入れ、炊き始める。

米が炊けたら、ネパールで初の、おはぎ教室の始まりだ。

そう、

今僕は、ネパールにいる。

ネパールの小学校を訪問し、おはぎを作り、子供たちに食べてもらう
「おはぎdeネパール」
という、自分で言うのもなんだが”変な企画”を、今まさに実行している。


 もち米が炊けたら、米を搗き、一口サイズにちぎって丸めていく。
持ってきた大皿と、学校で用意してもらったトレイにラップを敷き、その上に並べていく。
教室の外では、先生たちが興味深そうに覗いている。

手招きして、一緒にやろうと(日本語で)声をかけ、
先生たちを交えておはぎ作りを始める。

布巾を手渡し、作業を一つ一つ説明していく。
女性陣は手慣れたもので、すぐに覚えて次々と丸めていく。


大人数でやると早い。
一人で作ることを想定していたが、あっという間に完成。
ゴマや黄な粉をまぶして、きれいに並べたら出来上がりだ。



百個近くのおはぎが完成。
さあ、子供たちに食べてもらおう。
どんな反応があるだろうか。



と、その前にまずは記念撮影。
訳も分からず招集がかかった子供たちも、付き合いよく写真に納まってくれる。
日差しがまぶしい。

「さあ、みんな食べにおいでー!」
と声を掛けたら
おはぎの取り合いになればいいのに

と思っていたが、
この学校はとても規律をしっかり守っている。
クラス順か班ごとなのかはわからないが、きちんと整列して待っている。
一人ずつ順番におはぎを一個ずつ、手に取っていく。
ゴマが人気だ。


子供たちに一通り手渡ったら、次は先生たち。
ここの先生は、校長先生以外みんな女性だ。
「私たちもいいの?」
と、嬉しそうに手に取り、食べてくれた。

小さな子は、なんだかおっかなびっくり。
食べていいのかな
これはなんなのかな
そんな様子がうかがえる。



一口でほおばる子。
少しずつ、ちぎりながら食べる子
なんだか微妙に食べ方が難しそうな子。

色々だが、とにかく初めは行儀よく、おとなしく、静かに食べていた。

・・・なんだかつまんない。
というか、まあ、こんな感じの反応なのかな。

いや、別に、大好評で、みんなおいしいって口々に叫ぶとか、
そんな都合のいい情景を思い浮かべないわけでもなかったけど、
なんだか行儀良いし、
おいしいのかな、微妙なのかな、それとも。

うーん、悩んでもつまんない。
おはぎもまだまだいっぱいあるし、残ってもしょうがないし。

つたない英語で
「Come on! Next prease!」
と、手招きしながらおはぎを指差し、子供たちを誘ってみた。


最初に、ちょっと調子よさそうな子たちが集まってきてからは、すぐだった。
あっという間に子供たちは、おはぎのお皿の周りに集まり、次々とおはぎを手に取り、
そこらへんに座っては何個も食べていってくれた。





そんなこんなで、ほとんどのおはぎはなくなった。
よかった
口にあったかどうかはわからないけど、
とりあえずおいしかったみたい。
ニコニコして、食べた後はみんな遊びを再開していた。

2018年1月23日(火)晴れ
山本昇43歳
妻と、子供が3人。
16歳、14歳、12歳。
女、男、女の順。
生活にも、子供の進学にも、かなりお金がかかり、通帳は底をつこうとしている。

介護の仕事をしているが、昨年11月に左手首を骨折して以来、3か月の休職を余儀なくされる。
収入は・・・ない。
正確には、傷病手当がつくのだが、入ったところで焼け石に水だ。
さらに言えば、ネパールに出発する前に退職の意向を示してきた。
次の就職のあては・・・ない。

だのに

なんの因果か、ネパールに来て、おはぎを作って、子供たちに食べてもらっている。
しかも、渡航費はそのほとんどを第三者からの支援と、今後かさんでくるであろう借金で賄って。

さらに言えば、ネパール滞在後は、バックパッカーとしてタイから旅を(無目的で)始める予定。

もう、不安要素しか見当たらない。

家族は大丈夫なの?
海外の子供におはぎを作ってる場合じゃないよ?
いや、そもそもなんでおはぎなの?
なにしてんの?
それに、
なんでネパールなの?

これは、43歳にして初の、冒険の記録。
誰が何と言おうと、大冒険。
その、第一幕。
「おはぎdeネパール」編。

どこから話したらいいか悩むところだが、
取り留めなく、思いつくところから書き綴ってみようと思う。

やはり、すべてのきっかけは、あの骨折からだ。(つづく)



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